善悪・損得について考えてみた
性善説と性悪説について
「人はうまれついてよい心をもっているが、努力しないと悪(怠)になり開花できない」
「人はうまれながらに悪(怠)であり、成長の過程でしか善を得る事ができない」
誰もが持ち合わせている気質とか要素で、 人によって本来はこっち、あっちってのがあるだけ
相手によっても違う、どちらも持ち合わせていて、
「タマゴが先か鶏が先か」の状態かなって思う
ある人は、性悪説(怠)が無意識にあって、時間にしばられちゃうの
だからお家は時計だらけ、おまけに「時計をしてない人」が大嫌い
「時計をしていないから」といって、時間にルーズな人はかりではないの
だれかとだれかを重ねるの、経験しか信じていないから
お家に食べ物がたくさんあると、「たくさん食べちゃう」と考える人がいる
だからお家には食べるものがあんまりないの
食べ物という事実と、経験した事を重ねてしまうから
お家にたくさん食べ物があるからといって、
「食べては寝る時間の浪費」の繰り返しをしない人だってたくさんいるの
悲しいのは、フィルターをとおして束縛していること
人は時にはルーズになるものなの、ルーズなだけが人じゃないの
先入観をはずして、探してみると世界がひろくなる
性善説がいい人、性悪説が悪い人ってことではない
どちらかというと性善説が「騙されて利用される」弱者で
性悪説が、結果をだす「意識高い系」な勝者のイメージはある
ただそれだけ
幸せかどうかは、勝つか負けるかではない
何かを持ってないからといって、劣等感を感じることはない
何かを持ってないからといって、与えられるのを待っているのは、残念だ
何に喜びを感じるかは人それぞれ、比べる事でもない
持ってないものは自分自身の内面にあるのかもしれない
損得について
どっちかに偏らないのが、いいのかなって思う
得する事ばかり考えてたら、執着がはじまって孤独。
損ばかりだと、継続できる状況でなくなる。
童話の「獅子の分け前」みたいな感じ。
あ、でもキツネのやり方はたのしくないな。獅子の顔色伺いながら生きるかぁ。。。
それぞれの役割を認めてもらうのがいいな。
相談や、頼み事をする・どちらかばかりが負担がかかり、どちらかが責任のがれをする
そういったものを損得として、それが50超えたら、いい友人や同僚ではないと思う
ビジネスでも常に6:4を超えてると「継続できるいい関係」ではないと思う
2:8だと生きる事、維持する事が困難になってしまう。。。
2:8だと片方ばかりに負担がかかり、つづける事、維持する事が困難になってしまう。。。
抜け出せない沼で、あるきっかけで壊れてしまう。「陽極まれば、陰に転ず!」的な
得することを考えるのは悪い事ではないけど、
利益や、効率、生産性、人脈・・・そういうのは手段であって、悪ではないから
偏るとちょっと嫌悪感ある。そこに感情がはいると、偏った目で見る事もある(笑)
きっと人は矛盾した生き物なのだ。そうゆうことなのだ。
実際は6:4超えてるから大企業やブラック企業があるんだろうな。。。
古代の人も現代の人も、幸せになりたいって生きてるのは一緒
どんなに医療やITが進化しても、 戦争はなくならないし、貧困はなくならない、格差もなくならない女性は旦那の浮気を心配し、男性は妻の浪費を心配する
今、格差とは無縁と思っている人も、「もしかして太ったらどうしよう」
って考えている今、貧困と格差のテーブルにいるのかもしれない
その幸せはなんだろうって考えたときに、
「●●だけあっても一人では楽しめない」
私が思う本当の幸せは、何に喜びを感じてるか? の軸が自分の内面にあること
その軸だけあっても一人では楽しめない事に気が付くこと
気がついて自分が満たされたら、人に幸せを分ける人になりたい
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